2017.04/01(Sat)

Tranquilizer 9


『…お前が電話してくるなんて珍しいな』

挨拶もなく、いきなり話始めた父親の声が硬い。
その理由はわかっているが、類としては何も言ってこない父親が不可解だった。
すぐにでもあの日のことを責められると思っていたのに。

「全然電話してこないからさ。
 具合でも悪いんじゃないかと思って」

『いや、体調は悪くない。
 ちょっと考えたいことがあってな』

「それは俺とつくしのこと?」

敢えて『つくし』と名前で呼んだ。
それまで、父親の前で呼んだこともない、愛しい彼女の名前を。

『…そうだな。
 お前と、お前の『母さん』のことばかり、考えていたよ』

類に向かって、つくしを『母さん』と呼ぶ。
孝にとってつくしは未だ愛しい妻であり、類には継母なのだ。
その事実は現状変わっていない。

「悪いけど、俺はつくしのことを『母さん』だなんて思ったことない。
 俺の『母さん』は25年以上前に死んだんだ…。
 大した記憶もないけど、でも俺にとって『母さん』はあの人だけだから」

『そうか…確かにそうだな。
 そうでもなければ、あんなことはしないだろう。
 しかし、お前も趣味が悪いな…何もあの状況で電話に出なくてもいいだろうに』

「1つ言っておくけど。
 あの日が初めてだったし、あの日から今日まで一度も抱いてない。
 つくしが父さんのことを気にしてるの、わかるしね」

電話の向こうで、父親が小さく笑ったのがわかった。

『で、いつからだ?』

「何が?」

『いつから…つくしのことが好きだったんだ?』

ここまで来たら隠す必要もないだろう。
だから、正直に告げた。

「父さんがつくしを見初める前から、だよ。
 秘書室に転属してすぐくらいから、気にはなってた」

『そうか…つくしは?』

「そんなの、知らない。
 ていうか、まだ俺のこと、好きだって言ってくれないし」

不満に思う気持ちが声に出てしまっただろうか。
途端にククッと楽しそうに笑う声が聞こえる。

『つくしはなかなか手強いぞ?
 そこらの女と一緒にしてたら、それこそ一生かかっても言ってもらえんからな』

「父さんは?どれくらいかかった?」

『…もう忘れたよ』

やんわりとはぐらかされた。
けど、それ以上の追求に意味はない。


暫しの沈黙。
フランスでは、こういう時『妖精が通る』という。
その妖精はつくしなのかもしれない。
孝にとっても、類にとっても、愛しくてしかたない、可愛い妖精。


「父さん…俺、つくしのこと、本当に好きなんだ。
 今すぐにでも、父さんから奪いたいくらいにね」

『そうか。
 でも、残念ながら、私もつくしのことは愛しているんだ。
 だけど、この先、つくしがどちらの手を取るかはつくし次第だろう?
 お前のことを好きだと…愛していると言わない以上、私はつくしの手を離すつもりはないよ』

「だったら…」

『決めるのは…つくし、だよ』

その言葉に、父親が本当につくしを愛しているのだと感じる。
が、類も気持ちでは負けてはいない。

「わかった…その言葉、忘れないでよ?」

『ああ、お互いにな』


最悪な恋敵だ…孝は思う。
それなのに、不思議と気分はすっきりしていた。
分が悪いのは百も承知だ。
だが、ただ諦めるのでは面白くない。

つくしは相当困惑するだろう。
真面目で、曲がったことが許せない彼女が、そうそう簡単に類の想いを受け入れるだろうか。

でも、きっと。
つくしは類を選ぶ。
その時は笑って祝福してやりたい。
元夫、ではなく、類の父親として。

「いつまで君の夫でいられるのかな…」

晴れ渡るフランスの空から、愛しい妻を想う。
あの、向日葵のような笑顔を思い出しながら。




そして、数日後。
孝は日本本社の人事へと指示を出す。

『花沢専務をフランス本社の取締役社長へ。
 花沢つくしをフランス本社社長秘書室へ転属させる。
 専務の準備ができしだい、入れ替わりで私が日本に戻るから、準備しておいてくれ』

淡々と、私情を含んでいないかのような声。
なのに、孝の口元は幾分緩んでいるように見える。

『あぁ、それと…』

最後にもう一つ、と言葉を付け加え、孝は電話を切った。


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