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向かい合う

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Category波の悪戯

「…戻ろう?」

やっとの思いで発した言葉に、胸元の小さな頭が縦に揺れる。
けど、この腕を解くのが怖い。
緩んだ瞬間に逃げ出してしまったら…そう思うと、腕を緩めることができない。

「…類?」

一向に緩まない腕を不思議に思ったのか、か細い声が俺を呼ぶ。

「ごめん、ちょっと怖くて…」
「怖い?」
「…もう、黙って消えたりしないって約束して?」

その声は少し震えていたかもしれない。
恥ずかしさと情けなさに、つくしを抱きしめる腕に力が入る。

「うん…約束、する。」

つくしは顔を上げ、俺の目を見て、はっきりと告げた。
もう逃げない、と。

「ん…じゃ、行こっか…」

少しだけ腕を緩め、その様子を窺うが、身動ぎする気配はない。
ならば…と、俺はさっと身を屈め、つくしの膝裏へと腕を差し入れた。

「えっ?…きゃっ!」

再びつくしを抱き上げると、さっきと同じように、つくしは驚いて俺にしがみつく。
頬に触れる髪と、耳元に感じる吐息、そして両腕にかかるその重みに愛しさが増す。

「確か、つくしは足を怪我してたはずだよ?
 なのに、こんな無茶して…ちゃんと治るまで、地面には下ろさないからね。」
「え?」
「…なんてね。
 ほんとに怪我してたら、こんなとこまで一人じゃ来れないもんな。
 でも、怪我云々関係なく、本当に心配したんだ…」
「…ごめん。」
「とにかく、ホテルに戻ろ。
 話は向こうで、ゆっくりね。」

つくしを抱えたまま、歩き出す。
さすがのつくしも観念したのか、暴れることもなく、黙って俺の肩口に顔を埋めた。



外で待っていたタクシーの運転手は、俺たちの姿を見つけて、一瞬驚いた顔をする。
と同時に、俺があれだけ急いでいた理由を察してフッと笑みを零し、何も言わずに車に乗り込んだ。
 

走り出した車内は、とても静かだった。
運転手は時々ミラー越しに俺たちをチラチラと見ていたが、何も言わない。
そして、俺もつくしも、無言のまま、車窓を流れる暗闇を見つめていた。

…しっかりと、手だけは繋いで。


ホテルの車寄せにタクシーが止まると、控えていたドアマンが俺たちを出迎える。
つくしの手を引いてタクシーを降りると、彼は恭しく腰を折った。

「おかえりなさいませ。」
「後、頼む。」
「かしこまりました。」
「類、タクシー代、あたしも…」
「ん?いいよ、そんなの。それより…」

俺はつくしの手をしっかりと握ったまま、運行記録を記載している運転手へと声を掛けた。

「無理に急がせて、すみませんでした。
 大丈夫だったとは思いますが、もし万が一の時は…」
「気にしないでいいよ。
 久々に思いっきり走って、俺も楽しかったしな。
 それより、兄ちゃん…大事にしてやんなよ。」

チラッとつくしを見遣ると、フッと微笑みを浮かべる。
多少の気恥ずかしさを感じるが、この人の協力がなければ今は無かったかもしれないと思うと、素直に頷くことができた。

「類?」
「何でもない。
 …行こっか。」

つくしを促し、エントランスを抜ける。
広いロビーに人の姿はなく、フロント業務のスタッフがこちらに気付き、軽く会釈をした。
それに気付いたつくしは足を止め、彼らへとペコリと頭を下げる。

「つくし、お腹は…って、カレー食べたんだっけ?」
「え?何で知ってるの?」
「つくしが立ち寄った海の家の経営者の息子が、ここでギャルソンをしててね。
 彼の母親が、つくしがとっても美味しそうにカレーを食べていった、って嬉しそうに話してたらしいよ。」
「え…じゃ、ここがあの…」
「偶然とはいえ、ほんとラッキーだったよ。
 そのおかげで、こうして迎えに行けたんだから、さ。」

繋いでいた手を少し緩め、指を絡めてからもう一度しっかりと握る。

「このまま部屋に戻ってもいいんだけど、ちょっと寄ってこっか。」
「うん。あたしも、そう言おうと思ってた。」

クスッと笑みを交わし、リストランテへと足を向けた。
あのエスプレッソをつくしと一緒に飲める。
それがこんなに嬉しく感じるとは思ってもみなかった。



店に入ると、やはり客は誰もいなかった。
応対に出てきたのは、さっきのギャルソン。
その表情に安堵の色が見え、彼もまた俺たちのことを少なからず気に掛けていてくれたのだと思う。

「さっきはありがとう。」
「いえ。よかったですね。」
「うん。
 こんな時間だけど、エスプレッソを2つもらえるかな?」
「もちろんでございます。
 こちらへどうぞ。」

ギャルソンが案内してくれたのは、さっきよりも奥まった場所だった。
手前に配置した観葉植物が周囲からの視界を遮り、半個室のような空間にテーブルと椅子が2脚。
窓の外には、月明りに照らされた白波が静かに打ち寄せている。

つくしと相向かいに座り、何から話そうかと考える。
出て行った理由を聞けばいいのだろうけど、責めているように思うかもしれない。
言葉を選びながら、頭の中で文章を組み立てている、と。

「類…ごめんね。
 迎えに来てくれて、ありがとう。」

テーブルの上で組んだ手は、所在なげに指を絡めている。
申し訳なさそうに俯いた顔は沈み、心から反省しているのがわかる。

「理由、聞かせて?」

さっきまで考えていた言葉は全部吹っ飛んだ。
純粋に知りたいと思ったそのことが、自然と口を吐く。

「そ、それは…」

二人の間に漂う重い空気の中、つくしが口を開いた時。

「失礼致します…お待たせしました。」

ギャルソンは俺とつくし、それぞれの前にエスプレッソを供すると、軽く一礼をした。

「ここは既にクローズしております。
 私共はこれで失礼させていただきますが、時間は気にせずゆっくりお話しください。
 お部屋へお戻りの際はフロントまでお声掛けいただければ、係の者が施錠致しますので。」
「悪いね、いろいろ気を遣わせて。」
「いえ。それでは。」

ギャルソンの靴音が遠ざかっていくのを聞きながら、手元のエスプレッソを口へ運ぶ。
その豊かな香りが俺たちを包み、知らずと笑みが浮かんでいた。

「…美味しい。」
「うん。夕食の時に初めて飲んで、気に入ったんだ。」
「そっか…でも、その気持ち、わかるな。
 この味を知ったら、他のコーヒーは飲めなくなりそう。」
「ん。それ、わかる。」

クスッと微笑み合い、もう一口飲む。
さっき感じた苦さとは違う、柔かなほろ苦さが口の中に広がった。


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